駄菓子の歴史

駄菓子の歴史

駄菓子とは

子どもの小遣いで買える安価なお菓子を「駄菓子」といいます。昭和の頃までは近所の駄菓子屋で売られていましたが、消費税の導入とともにお店はめっきりと減ってしまい、今ではコンビニやスーパー、ショッピングモールなどで売られるようになりました。

 

駄菓子屋の菓子がそのままむき出しだった頃の不衛生なイメージは今はなく、小分けに包装され、レジで読み込むためのバーコードもついています。(それがデザイン的には残念な気も)

 

「駄(ダ)」という文字には値打ちのない、粗悪ななどの意味がありますが、なぜそんな風に呼ばれるようになったのでしょうか。

 

駄菓子の歴史

駄菓子の歴史をたどっていくと、江戸時代までさかのぼります。
白砂糖で作られた高級な「上菓子」に対し、麦・ひえ・あわ・豆・くず米などに飴(あめ)・黒砂糖などをあしらって作った安価で大衆的な菓子が「駄菓子」で、江戸時代にはまだ「雑菓子」「番太郎菓子」「一文菓子」などとも呼ばれていました。

 

駄菓子の前身「番太郎菓子」

江戸の町の入り口を見張る「番太郎」は、木戸番所に隣接する番太郎小屋に住んでいましたが、見守りだけでは生活が成り立たず、サイドビジネスとして黒砂糖で作った安いお菓子などを売っていました。これが「番太郎菓子」で、庶民の間食として食べられ、その安さから「一文菓子」とも呼ばれていました。

 

「一文菓子」の一文とはいくら?

よく「一文無し」という言葉を使いますが、銭1文は現代でいうと12円くらい。江戸の末期頃まで「そば1杯15文」だったそうなので、当時でも安価であったことがわかります。今の駄菓子と同じくらいの値段設定ですね。

 

砂糖の国産化が始まるが、庶民は黒砂糖

砂糖製造の様子
「日本山海名物図会」より)

 

1800年に入ると砂糖の国産化が始まりますが、白砂糖はまだ制限されており、庶民の食べるお菓子には黒砂糖のみが許されていました。
黒砂糖を使ったお菓子には、麦こがし・おこし・カルメ焼きなどがあり、今でいうなつかしの「昔菓子」がこれにあたります。

 

樋口一葉が営む駄菓子店

明治時代を代表する作家 樋口一葉は、明治26年(1893年)に台東区龍泉寺町で、日用雑貨を取り扱う商売を始めました。当時の仕入帳が残っており、蚊遣り香、もぐさ、団扇、裁縫具などの他に、菓子類、玩具類、豆類、煎餅餅類、紅白四色金平糖めんこ類、人形類…などが記入されてiいて、ほぼ毎日「菓子」の記載がみられることから、日用雑貨よりも子ども相手のお菓子が売れていたことがわかります。一葉の代表作『たけくらべ』の中に出てくる駄菓子屋「筆や」のモデルになったといわれています。

 

時代背景として、ミルクキャラメルで有名な「森永製菓」の創業は明治32年。1粒7銭で販売されていたより、ちょこっと前のお話です。

 

明治末期から昭和初期。

台湾やサイパンなどから砂糖が大量に入ってくるようになるとともに駄菓子の種類も増えていきますが、昭和16年(1941)に太平洋戦争がはじまると食糧不足により食品の統制が強化され、駄菓子も作られなくなりました。

 

昭和24年(1949年)、砂糖の統制が撤廃され、キャラメルなどの自由販売も認められるようになると、たくさんのキャラメルを作る零細企業が誕生し、その供給に合わせるように駄菓子屋が増えていき、駄菓子の黄金期を迎えます。

 

森永ミルクキャラメル
森永ミルクキャラメルの歴史

 

昭和の駄菓子最盛期

昭和22年~24年頃の第一次ベビーブームとともに子供の数が一気に増え、駄菓子が発展していきます。この時期に販売された商品は、現在も変わらぬ人気で販売され続けています。
駄菓子年表

年代昭和

歴史背景

メーカー(菓子名)

1888

明治21年
(伊藤博文時代)

マルカワ
1920

大正9年
(前年ベルサイユ条約)

クロボー製菓(黒棒)
1926 昭和元年 セイカ食品(ボンタンあめ)

1929
(4年

世界恐慌 植田製菓(あんこ玉)

1931
(6年

満州事変 中野物産(都こんぶ)

1941
(16

真珠湾攻撃
太平洋戦争

梅の花本舗(梅ジャム)

1949
(24年

  島田製菓(ラムネ菓子)、鍵屋製菓(ふ菓子)

1950
(25年

朝鮮戦争、 桔梗竹商店(氷砂糖)

1951
(26年

黒澤明「羅生門」、
ミルキー

大和製菓※現オリオン(ココアシガレット)

1952
(27年

火炎瓶事件、
「君の名は」

井桁千製菓(トンガリ)

1953
(28年

NHKテレビ放送開始

 

コリス(大当たりガム)、東(ライスチョコ)

1955
(30年

三種の神器
(冷蔵庫、洗濯機、
テレビ)

ナマイ商店(棒きなこ飴)、明光製菓(こざくら餅)、雷屋(キングカレー)、前田製菓(クラッカー)、岡田屋(ビンラムネ)、耕生製菓(フルーツ引)

1957
(32年

33年)東京タワー みやま食品(さくら大根)

1958
(33年

フラフープブーム、
「嵐を呼ぶ男」

西島製菓(棒きなこ当)

1959
(34年

「ゴジラ」ヒット 松田商店(ベビーラーメン)、マルカワ製菓(フーセンガム)

1960
(35年

ダッコちゃんブーム、
「ズンドコ節」ヒット

コリス(フエガム、ラムネ)

1961
(36年

ソ連有人宇宙衛星、
「上を向いて歩こう」、
エンゼルパイ

松山製菓(粉末ジュース)、明治(マーブルチョコ)、サンヨー製菓(モロッコヨーグル)

1962
(37年

キューバ危機、
アーモンドチョコ

松尾製菓(チロルチョコ)、見田製菓(きびだんご)
山恵(人参)

1963
(38年

ケネディ暗殺、
鉄腕アトム、

カクダイ製菓(クッピーラムネ)

1964
(39年

東京オリンピック、
東海道新幹線開通、
かっぱえびせん

三立製菓(チョコバット)

1965
(40年

おばけのQ太郎、
オロナミンC、

オリオン(コーラシガレット)、森永製菓(チョコボール)、

1966
(41年

ビートルズ来日、
ポッキー

松山製菓(パンチコーラSP)、フルタ製菓(アイデアルチョコ)

1967
(42年)

新3種の神器
(カラーテレビ、カー、クーラー)
ミニスカート流行、
リカちゃん

フルタ製菓(ハイエイト)、五十鈴製菓(ソースせんべい)

1969
(44年)

アポロ11号月面着陸、
アポロチョコ、
サザエさん開始

美濃金製菓(花串カステーラ)

1971
(46年

ルパン3世、天才バカボン、キャラメルコーン  

1972
(47年

中3トリオ、
ど根性ガエル

中村製菓(チーズあられ)

1973
(48年

オイルショック、
ドラえもん

オリオン(梅ミンツ)、高岡食品工業(むぎチョコ)、森永製菓(ラムネ)、リスカ(ハートチップル)

1974
(49年

セブンイレブン1号店、宇宙戦艦ヤマト、 一十珍海堂(紋次郎いか)

1975
(50年

タイムボカン、
きのこの山、ハイチュウ

マルタ食品(ミニボトル)

1976
(51年

ロッキード事件、
「およげたいやきくん」ヒット

よっちゃん食品(信玄)、やおきん(餅太郎)、パイン製菓(シャーベットペロ)、フルタ製菓(セコイヤチョコ)

1977
(52年

キャンディーズ解散、
ピンクレディーブーム

よっちゃん食品(カットよっちゃん)、ロッテ(ビックリマンチョコ)

1978
(53年)

成田空港開港、
スターウォーズ、
ベストテン、

よっちゃん食品(よっちゃん丸)、オリオン(ミニコーラ)

1979
(54年)

東京サミット、
ガンダム
インベーダーゲーム

オリオン(ミニサワー)、やおきん(うまい棒、どんどん焼)

1980
(55年

ルービックキューブ、
山口百恵引退

中村製菓(ポテトフライ)、イケダヤ製菓(えび太くん)

1981
(56年

あられちゃん、ナメ猫、
ピンクレディー解散

 

1982
(57年

ET、パソコン元年、
ノーパン喫茶、

やおきん(蒲焼きさん太郎)

1985
(59年

新札、金妻
おニャン子クラブ、

やおきん(ラーメン屋さん太郎)

1989
(63年

竹下内閣
消費税3%スタート

 

 

消費税導入とともに多くの駄菓子屋さんが姿を消していきました。

 

 

歴史ある駄菓子屋さん

 

日本最古の駄菓子屋「上川口屋」
雑司ヶ谷の鬼子母神境内内にある「上川口屋」は、創業が天明元年(1781年)。今は13代目の内山雅代さんが営業されています。




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